劇団松本良美 よみこみちゅう

劇団松本良美の「RPG☆19 」

RPG☆19

ども★よしみです。RPG☆徒然なるままに。ながるるままに。

 

☆☆☆

 

そんなこんなで。
グングンと 続けて・・

RPGブログの更新を行進して交信します。

 

思い出すためのツアー。

宮島・弥山。11/24集合★


だから、それまで、今までの数々のピースを繋いで、道をツクッテいく。

 

きっと、ワタシタチはオモイダスために地球にきた。

☆☆☆

 

前回のブログで

神功皇后の出会いから、

平将門さんが、よしみの人生にどうして現れたのか?

の気づきを書きます、というトコロで終わったので。

 

よしみの過去ブログで、そこを書いているので、

そのまま、コピペして端的にまとめてみます。

 

 

☆☆☆☆

 

遡るコト10年前。

<よしみはじめて神楽坂というコトバを聞く>

 

約18年前位かなー。 
よしみは、実父の経営するみこし屋にその当時は次世代を継ぐ者として勤務していた。

結果的に、その実父の会社も辞めてしまう経緯がアルのだけど、なんだかんだで10年前にまた戻った。

会社に戻ってすぐだったと思う。2007年。

 

神楽坂にある赤城神社の氏子さんの山車の修理依頼があって、その見積もりとかをよしみが作成した。そこで初めて知ったんだ。

「へー。神楽坂に赤城神社があるんだー。」って。

 

☆☆☆☆

 

でも、それっきり、神楽坂の名前が自分の中に出てくることはなく。

 

☆☆☆☆

 

2015年5月から。

<よしみ毎月早稲田へと定例で出張セッションに行く>

 

早稲田セッションでは、サロンオーナーさんのオーガナイズのお陰もあり、沢山の出会いがあった。

(2年間、毎月2~3日の日程でセッションを募集していたが、毎月満員御礼で空きが出たことがない。振り返るとありがたいし、凄いな。)

 

そこで出会ったクライアントの男性から、<神楽坂の赤城神社>というキーワードを聞くまで、10年前の山車の修理の話は忘れていたのだけど、それをきっかけに、神楽坂・赤城神社、というワードは私の中でずっと引っかかっていた。2015年6月くらいかな?

 

☆☆☆☆ 

 

早稲田は東西線で隣駅が神楽坂。

そして、そのあと、早稲田サロンに毎月出張があるということで、

一人で外食もさびしいので、今度、ご飯食べようよ!・・とか約束したのだと思う。

クライアントのHさんが予約を取ってくれたのが、神楽坂のオサレなレストラン。

 

夕食を一緒に食べた後、「赤城神社ってどこ?」なんて話になったのだっけな?

宵宮詣りになるのもなんだか嫌なので、その日は場所を教えてもらって、翌日の朝、早稲田セッションの前に一人で赤城神社にご挨拶に行ったのが、

 

<よしみ はじめての赤城神社>

 

☆☆☆☆

 

10年前から耳にして気になっていた

神楽坂・赤城神社。

 

初めて訪れた神楽坂。

夜の神楽坂も、翌朝の明るい神楽坂も大好き!!になってしまった。

「うわー!ここに住みたい!ここで仕事したい!!」

って 自分の中から湧いてくる街は、初めてだった。

 

☆☆☆☆

 

早稲田サロン。

振り返ると私にとって、もんの凄い分岐になっているコトに気づく。

 

様々な素晴らしい方々との出会いはモチロン☆

今執筆している本(100%魂のカタチ)の共著者との出会いもそこの早稲田サロンなんだよね。

 

彼女が2015年末から4回、セッションを受けに来てくれたコトが、今回の出版の大きな要になっている。

※その部分は本の中にしっかり書かれているのでどうぞお楽しみに!!

 

そして、その彼女の東京での仕事の拠点としているサロンがこれまた神楽坂。

 

彼女と共著することを決めたのが2016年4月。

 

それから毎月の早稲田出張のたびに、彼女の拠点でアル神楽坂で打ち合わせを重ね、

打ち合わせがない時はヒトリ赤城神社へお参りしてから早稲田へ。

「本の出版が実現出来ますように。」

 

それが、毎月の恒例となった。

 

☆☆☆☆

 

心の中から湧いてきた

「神楽坂でお仕事したい!」

という思いも、彼女の紹介もあり、素敵な神楽坂のサロンを紹介していただき、実現することができた。2016年夏かな。

 

 

☆☆☆☆

 

 

共著者の女性とは前回のブログでも書いたとおり、神楽坂で何度も打ち合わせを重ねる。

※そこらへんも本の中に描かれてます。

 

互いにアイデアを出し合い、読み物として面白く分かりやすくなるために、原稿を書き進めてはお互いで推敲し合った。

文章を足し算して引き算して掛け算して割り算するような、原稿とにらめっこする日々。

 

数カ月ほどそんな日々を過ごして、原稿も本の土台固めが出来始めた頃。

2016年8月頃には、いよいよ「どこの出版社にアプローチしようか?」

そんなコトをフタリで話すようになってきた。

 

よしみの思いは

「沢山の人に読んでほしい!!」

ということがメインだったので、書店で平積みされてたり、しっかりとその出版社のコーナーが設けられている出版社がいい!と思っていた。

 

内容はきっとスピリチュアルや精神世界、心理学、そういったジャンルになるだろうから、その内容に特化した出版社をフタリで考えた。

 

その頃、よしみの頭の中には「やっぱりあの出版社さんがいい!」という思いが湧く。

スピリチュアルや宇宙、引き寄せや魂についての本をたーくさん出している出版社さん。

「あの出版社さんどうだろう!!」

共著者の方にも伝える。

 

そんな中、神楽坂で仕事をしていた共著者の方から写メが届く。

「いま、ヒカルランド号が目の前を走っています!!やっぱり、そうゆうコトですかねー。」

それからの私たちに、さまざまなサインが送られてきた。

2016年11月の新月に私たちは「ヒカルランド」に企画書と原稿の一部を送ることになる。

 

 

☆☆☆☆

 

何が言いたいかって、このヒカルランドさんがあるのが、神楽坂。

 

そして企画書を送る時点で、会社が神楽坂にアルのは知らなかったのだ。私。

 

2017年1月、出版社の社長さんと編集長さんと待ち合わせたのも、打ち合わせたのも、神楽坂だった。

 

☆☆☆☆

 

2017年3月。

その頃には、わたし自身、原稿はすべて書きあがっていたので、のんびりとしていたのだけど、まだ残っているコトがあった。

執筆の中に、イラストや漫画を挿入したい、と思っていたのだ。

数人のイラストを依頼したい人の顔が浮かんだ。

何人かには尋ねてみたが、みな「荷が重い」「時間がない」などのことで、引き受けてくれる人はいなかった。

 

☆☆☆☆

 

そんな中、またまた3月の早稲田出張の時。

3月14日に、神楽坂在住のHさんともう一人のお友達と、ご飯を食べる約束をした。

お店はどうしようか?と思ったけど、お酒も食事もおいしい、

よしみの大好きな神楽坂のイタリアワインバーで待ち合わせをした。

 

ちなみに、そのよしみが指定したワインバーはHさんの家から徒歩2分くらいの場所だった。これまたミラクル。

 

Hさん、仕事を終えて、遅れての集合だったが、Hさんが席について間もないうちに、私は尋ねてみた。

「今度の執筆の中にイラストや漫画を挿入したいのだけど、書いてくれるかな・・?」

 

Hさん、すぐさま「いいっすよ。」・・って言った。

「いいっすよ」・・・・。

 

「ほんとに??嬉しい!!!」・・と私。

 

 

翌日20ページほどの原稿をHさんに送った。

 

そして原稿を送った翌日から、次回編集長との打ち合わせがある3月29日までの、たった15日間の間に、

続々と、お願いしたイラストやコマ割り漫画約30点が送られてきた。

どれもこれも、深夜から朝の時間帯に。

・・Hさんは深夜、仕事が終わってから書きあげてくれたのだ。

 

 

編集長との打ち合わせだった3月29日には、Hさんのイラストを見てもらうことができた。

「いいですね!!」

 

めでたく採用となった。

 

 

そして、その2日後、Hさんは自宅から徒歩数10分の出版社へ、直接原画を持ち込んでくれたのだ。

 

おいおい。ほんとに。しつこいけど・・ミラクルだ。

 

すべてが神楽坂の数キロ圏内で、この本が仕上がっていくのだ・・。

 

 

☆☆☆☆

 

 

でさ。

つくづく、神楽坂ってなんなんだろー?

って、こないだ、wikiってみた。

 

「神楽坂」の名称の由来について、「江戸名所図会 巻之四」(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる。 また、「改撰江戸志」 (原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている) には、津久戸明神元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。

 

なんてことが書かれているけど。

 

若宮八幡さまは、Hさんの氏神さま。

 

津久戸明神さまは、筑土八幡さまになっていたが、共著者とヒカルランドに向かう際に、ヒカルランドの真ん前にあった神社だったので、思わず

「お詣りしてから行こうか?」

と、ご挨拶に行った神社だ。

ご挨拶した旨をヒカルランドの社長さんに云うと、やはり、ヒカルランドの氏神さまで、事務所開きの際は、そこの宮司さんにご祈祷してもらったそうだ。

そして、日本でも珍しく、アメノウズメさんが祀られてるとのこと。

そう、芸事の神様☆

 

それから、高田穴八幡‼

早稲田サロンにお世話になってから、ずっとご挨拶させて頂いてる神社だ!

そう。早稲田サロンの氏神さまだ。

 

その三つ巴の神社さま達を繋ぐお神輿とお神楽の歴史。

そしてあたしはみこしやの娘であり、

赤城神社の御祭神である赤城山に育ててもらった
赤城山にも捨てられてる

 

あ!そいえばさ、松本家の家紋は三つ巴☆

ミラクル続きで、もう、脱帽。

 

花魁、神輿・・いづれそのキーワードは私の人生に不可欠だ。

 

そんなコトもいつか整合性がつくのであろう。

神様のご縁。

前世と今世のご縁。

すべては繋がっている。

頭でわからないことでこの世は出来てるんだよな・・。

 

☆☆☆

 

はい。

 

ここまでの内容は、全て よしみの過去のブログです。

 

よしみが「100%魂のカタチ」を出版するまでの出会いやご縁が、

すべて、早稲田、神楽坂の八幡様が氏神様である方とのご縁で進んでいった、ということに驚いた、ということです。

 

そして、その早稲田、神楽坂にアル八幡様
<穴八幡、津久戸八幡、若宮八幡>

の真ん中に 赤城神社が アルのですね。

 

赤城山に育てられたと自負するよしみは、八幡様に守られていたのかな、と

思いました。

そして、そこで、何を発信するのか?問われているような感覚でありました。

 

八幡様を意識するのも、平将門さんを知ったから。

都内に北斗七星に置かれた将門さんに関わる神社のすぐそばが、いつも宿泊するホテルでご挨拶に行ってたり、なども含めて、将門さんを知れば知るほど、

「思い出せ!」と言われていたのは、神功皇后に続いていたのだな、と思うよしみでした。

 

RPGのごとく、平将門さんから、八幡さまにたどり着いたのです。

 

「100%魂のカタチ」を出版してからは、沢山の読者さんと出会い、
壱岐ツアーやセッションなどで、お会いすることになった際には

「神楽坂でよしみさんが 花魁だった時に、横で、ハゲとして一緒にいました」

なんて、前世の記憶を持っている方にもお会いしました。

 

実父のみこしやでは、よしみ、彫刻の彩色や文字書きなどもしていますが、
神楽坂ヒカルランドみらくるで仕事をしているときに、
神楽坂赤城神社のお祭り開始の太鼓の響きと共に、10年前によしみが名入れをした
山車が目の前を通り過ぎた時には、「あ!あれ、あたしが書いた!!」

なんて、仕事をストップして、興奮してしまった場面もありました。

 

そう。

私は、神楽坂を魂で記憶していたのです。

 

そして、今世は花魁ではなく、

「魂のカタチ」を思い出して、自分を生きましょう!というコトを伝えるために

戻ってきたのです。

 

神楽坂と赤城山

 

ココには 女性性の解放という キーワードが 隠されているような気がします。

 

さて。

RPG☆つぎへと つづきます。

 

☆☆☆

 

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松本良美
松本良美 Matsumoto Yoshimi

1971年生まれ。女性。魚座のO型。

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